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最後まで残ったC57門デフ機 C57175[鹿]: 昭和の記憶と復活蒸機

2024-07-03 03:26| 来源: 网络整理| 查看: 265

 今年は磐越西線のC57が11月より門デフに換装されて、12月のクリスマストレインまで走りましたが、本日はC57の門デフ機として最後まで残った鹿児島機関区のC57175のご紹介です。

 九州には門デフを付けた数多くのC57が活躍していましたが、現役として最後まで残ったのが鹿児島機関区の175号機です。磐越西線の180号機と同じ第3次形。デフはK-7タイプ。当然ながら門デフC57180と瓜ふたつと言いたいところですが、いつも拙ブログにコメントを頂戴しているD51338さんの今年11月6日付のブログ記事によりますと、180号機の門デフはK-7をベースに製作されるも細部ではわずかに異なっているそうです。

 このC57175は昭和49年4月の日豊本線・吉都線の無煙化後も、鹿児島駅・都城駅での入換用としてC57124とともに残り(他にC5552、C5557も)、昭和50年3月23日の日豊本線さようならSL列車をC5557とともに重連で牽引して最後の花道を飾りました。現在は宮崎県総合運動公園青島青少年自然の家で保存されています。

 こちらは昭和48年7月8日に鹿児島機関区で撮影した写真です。

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 続いて昭和49年3月23日に西鹿児島駅で単機回送中を撮影した写真です。このあと私は都城在住の叔父の家に向かい、2晩泊まらせてもらって、都城、西都城駅付近を中心に終焉間近となった日豊本線や吉都線の蒸機の撮影を行ないました。その時のネガの多くが行方不明になっていて、実家に帰った折に再度探してみるつもりです。

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 こちらは昭和49年11月3日に都城機関支区で撮影した写真です。この時は既に本線での仕業はなく、都城駅での入換作業の合間に機関支区で小休止しているところです。今となっては一緒に写っているDF50も懐かしいですね。

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 最後は以前にもご紹介したことのある昭和50年3月23日に運転された日豊本線さようならSL列車です。次位がC57175。霧島神宮~北永野田間で撮影。

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 私はこの175号機が営業列車を牽引するところは、最後となったさようならSL列車を除いて撮る機会はありませんでした。次回は1日空けて明後日から、2020年この月の1枚シリーズです。

 因みに、私は175号機と180号機の門デフの違いを2カ所見つけました。他にも違う箇所があるのかもしれませんが、皆さん、おわかりでしょうか? 当てても賞品はありません。悪しからず・・・(笑)。

【追記】

 同じように門デフ機として有名なC5557もK-7タイプですが、私が見つけた相違箇所のうち1カ所はC57180と同じで、違いはありませんでした。C57175が特殊なK-7タイプだったのでしょうかね? C5772も175号機と同じタイプでした。因みにこの1カ所はデフ本体ではありません。もう少し調べてみます。



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